自分はイクメンなのか??

個人的に情報収集先の一つである佐々木俊尚さん(@sasakitoshinao)のキュレーション(その人が気になる情報を集めて自分なりの意見を加えて発信すること)に面白いものがあったので、ちょっと感想こめて記事にしてみました。

個人の主観なので、色々とご指摘をうけることは覚悟しております。また自分の思ったことを特に推敲することなく綴っておりますので、まとまりがないかもしれません。

結婚しても男が「イクメン」や「カジメン」に絶対になってはならない理由

これが佐々木さんのキュレーションで流れてきたものです。

自分の理解したことをかくならば、「家事」「育児」とはやるべきものである。だからこそ名前にとらわれてはいけない。名前がついているうちは「珍しいもの」であると。名前があるうちは受動であり、能動であるべきだと。

書いてあることはそうだし、納得できるものであったので、あまりどうこういうつもりはないのだけれども、いままで主体的にやったことのない人にとっては言葉で表現できる肩書きは武器になるのかなと思っているところがあります。

まだ通用する肩書き

なんだかんだといって肩書きや肩書きになる名称があると自分アピールにもなりますし、理解してもらいやすいと思っています。「イクメン」「カジメン」なんてまさに肩書きであり、「私はやっていますよ」アピールするには十分なものだと思います。だからこそこういうキャッチフレーズてきな名称が次々産まれてくるんだろうなと思います。

高度経済成長期ってある意味会社が「ムラ」みたいなもので、色々守ってくれて、それこそ団地に住んでいて周りはほとんど会社の人なんて環境が多かったと思います。父親は遅くまで仕事をしてきて子供のことや家の事は知らない(やらない)。自分は部長になったからエライとかそんなことで近所とやりとりをしてたような人が仕事上上司だと、「妻も仕事をしているので家事は半々なんです」とか「子供が熱を出したので今日は私が面倒をみるので早退します」なんてのが「???」となる事が普通だと思っています。そんな人には「カジメンなんで家事をやってるんです」とか「自分はイクメンなんで子供の面倒みるために早く帰りたいんです」っていったほうが通じやすいと思っています。まだまだ社会の認知度なんてそんなものだと思っています。

人間は経験したことしか理解できない

人間って自分んが経験・体験したこと以外は理解することが難しいものだと思います。なので、家事も育児も自分が家族としてやることが当たり前と思っている世代が多くなり、そういった人が会社を背負っていくような上にいないと「カジメン」「イクメン」って言葉はなくならないと思います。表向きにはこういった言葉を使うのは今はまだ悪くないと思います。あと何年かすればこういった言葉を使わなくても当たり前の時代になるんだろうなと思います。やることが普通の人にとってはこういう肩書きって違和感意外の何でもないんですけどね。